ママが、働くということ。
1番下の娘はまだ2歳、上の息子もこの春から1年生になりました。
可愛い最中、1番しっかり見てあげなきゃいけない時期…
それでも私が働くのは、大きな後ろ盾があったからです。
今年7歳になる息子は、先天性内反足という疾患を持ち、産まれてきました。
産まれて1秒後、明らかに歩行困難な形状の息子の両足を見て、ザワザワとした気持ちになったことを強く覚えています。
産院で、他のお母さんたちのように授乳室に行けず、1人籠って誰の目にも触れないようにしました。
私は一生、看護師の仕事には戻らず、車椅子のこの子のお世話をするのだろうか…と漠然と思いました。
母親がこの子をかわいそうだと思ってしまったら、何だかとってもこの子が不憫な気がして、泣きたい気持ちを抑えて抑えて…
それは、辛いというよりか、母親としての本能だったように思います。
色々な思いを巡らせた中でたどり着いたのは、
この子は、看護師の私の元に産まれてくれた。
私には新生児科で勤めていた経験もある。
みんなと少し違って、大変なこともあるだろうから、きっとこの子は、1番幸せにしてくれそうな私を選んでここにきたんだなという想いでした。
小学校からの同級生、部活の友だち、看護師の友だち、赤ちゃんなんて抱っこした事がない夫の友だち…たくさんの人たちが、生後間もない息子に愛情の眼差しを向けてくれたことも、穏やかな気持ちになれた大きなきっかけだったと思います。
そんな息子は、生後10日から大学病院で専門医の治療を受け、数ヶ月のギプス生活の後、両足のアキレス腱切断術をし、両足が繋がった固定装具の生活をしました。
治療のステップと、発達・発育が順調に進み、仕事に復帰しようとしたときのこと。
その時はまだ終日デニスブラウンという装具をつけており、通常保育として対応してもらえるか分からず、更には装具による褥瘡が発生しやすく、管理の問題にも気を揉んでいました。
看護師がいて、保育士がなるべく多くいて、面倒くさがられず愛護的に関わってくれるところ…と、何件も見学・面談を重ねました。
他人に預けることに納得できなかったら、仕事は諦めようと覚悟はしながらの保活。
その最中、とある保育園の園長先生。
うん、うちにおいでよ〜❕
と、しみじみと、そして、ふんわりと声をかけてくれたのでした。
小児科経験の長い、ベテランの看護師さんもいる保育園でした。
他の保育士さんも同等の管理ができるよう、装具の取り扱いを一緒に勉強したいと申し出てくれました。
緊張の糸が切れ、ボロッボロと涙が出て、なんだか肩に乗せた大きな大きな荷物が、たんぽぽの綿毛のようにふんわりと飛んでたいったような感覚でした。
この子のことを、受け入れてくれる人がいる。
私ばかりが背負うのではなく、共に考えて、分かち合って、みんなで一緒に育てていきたい。たくさんの人に大切にしてもらえたことを、息子に伝えていきたい。
だから私は、保育園にいただいた私の時間を、きちんと過ごす。
看護師として、しっかり働く。
そう思ったのでした🕊
そんな息子はこの春小学生になり、毎日学校までの道のりを、力強く歩いています。
治療はまだ完全に終わりではないけれど、11ヶ月で預けた時から、ずっと仕事を続ける事が出来ています。
たくさんの感謝を、お世話になった方々へ、そしてこれからもお世話になる方へ、直接返していくことは難しいと感じます。
ありがとうの言葉だけでは返し切れない想いがあるからです。
看護師として働いて、世の中に何らかの形で還元できたら良いな。
看護師として起こす、発言や行動が、誰かの希望の種になることを願い、
一生懸命、もかのアサノさんをするのでした🍀
最後までお読みいただき、ありがとうございます☺️
もか訪問看護ステーション/浅野